二人三脚で国宝の複製  <4> 岡山の甲冑師親子 
森崎 昌弘さん79、干城さん38

見えない所も手抜かず

蒔絵「命を守ってくれる鎧(よろい)。命の次に大切なものだからこそ、武士は最高水準の技術を要求した。鎧には時代の技術レベルが反映されているんですよ」――。岡山市野田屋町の一角。森崎昌弘さん(79)と、長男干城(たてき)さん(38)は誇らしげに語る。店内のガラスケースには甲冑(かっちゅう)や国内最高級の五月人形の兜(かぶと)が飾られている。昌弘さんは、日本甲冑武具研究保存会(東京)が指定する全国五人の甲冑師の一人で、西日本では一人だけ。「良い作品と対面すると、まるでそこに生身の人が存在するように感じるんです」と、深い思い入れを語る。

 昌弘さんは、鎧兜を専門に扱う古美術商の家に育った。小さいころから物作りが好きで、終戦後はガラス加工品を病院へ納めていたが、いつしか鎧の奥深さに魅せられた。三十歳の時、甲冑師として生きていこうと決意。右も左も分からなかったが、「何とかなるじゃろ」との楽天的な性格が後押しした。以来、独学で技術を身につけた。

 甲冑作りは、鉄打ち出しから革、絹の染色、銅の彫金、漆芸、溶接まで多くの技術を必要とする。一人前になるまで、十年以上かかったという。

 八年前、愛媛県大三島町、大山祇(おおやまづみ)神社にある日本三大鎧の一つの国宝「紺絲威(こんいとおどし)大鎧」の複製品を作った。東京で予備校の事務をしていた干城さんが家業を継ぐことを決意して仕事を辞め、父に弟子入り。初めて親子で手掛けた記念すべき作品だ。干城さんは今、「甲冑には三つの見所がある。死する覚悟で身につけた武士の思い入れ、芸術性を高めた職人の技、時代により変遷する様式です」と説明する。

 現在、親子が取り組んでいるのは、高梁市の民家に伝わり、県立博物館が所蔵する国宝の鎧「赤韋威(あかがわおどし)大鎧」の複製だ。植物のアカネで染めたシカ皮をベースに、小札(こざね)と呼ばれる牛皮の板を編む。この鎧には、小札を三枚重ねにする三目札(みつめざね)が数多く使われているのが特徴だ。

 だが、厚さ三ミリの牛の生皮は少ない。牛舎で育つ現代の牛は皮が薄く、必要な三頭分を確保するのも一苦労だ。千年の時を経た実物は、漆がはげかけている上、牛皮が変形したり縮んだりしており、元の形を設計図に再現するだけでも大変で、普段の三倍は手間がかかる。時には二人で徹夜をしながら、今春の完成を目指す。

 土日も休まず働く昌弘さん。「見えない所で手を抜かない」厳しさは、干城さんにもいい手本だ。その昌弘さんにとって、今回の国宝の複製作業には特別な思い入れがある。「大きな仕事はこれが最後かもしれない。しかし、たとえ死んでも、『野田屋町に鎧の職人がいた』と語り継いでもらえればうれしい」。親から子へ。二人三脚の〈技の道〉はまだ続く。